「なんか体調悪くないですか?」
「んー?」

しいて言えば精神的に、か。
あの風呂場での出来事がどうにも振り返りたくない一件であり、
一件以来どうも目を逸らすようになっていた。
気恥ずかしいとかそういったものではなくて、どこかでの"拒絶"する心。
これ以上近づかれるとどうなるか、といった類のいわば警告か。
今更そんなもの出されたってどうしようもない。
過去に起こったことは変えられないのだから。



『Only Doubles』 #4



「そんな感じは無い」
「もう相当寝てないですよね?4日か5日ぐらい」

もうそれぐらいなったか。
日付を示す体内時計はすでに壊れてる。
そして手に取ったカップにもう中身は無い。

「ん」

コーヒー追加頼む。

「はいはい」

表情一つ変えず(多分内心呆れてるだろうけど)Moが出ていく。




程なくして戻ってきた。

いや、っていうか人の形してるし。
っていうかいつもの緑色の塊違うし。
っていうか髪の毛白いし。


「萌迦さん」
「んー?」

戻ってきたのは仮名子さんだった。
手に持ってるカップを見るにMoから引き継いできたんだろう。

「様子がおかしいって聞いたので・・・」

どんな伝え方したんだろうかMoは。


途端に私の中に焦りみたいなものがにじみ出てきた。
もう少し近づかれたら私自身が何をするか分からない、そんな危険な焦り。

そんな心配をつゆ知らず仮名子さんが近づいてくる。
近づけたくない、好かれたくない感情が行動を持って動きだす。

「あの、やっぱり、寝たほうがいいですよ。顔色が・・・」
「それはさっき散々言われた」
「で、でも」
「うるさい」

これ以上近づくな、って無意識な警告だった。
近づきすぎてはダメなんだ。
最初から離れていれば誰も泣くことはないんだ。


それっきりで会話は打ち切ったがそこから先の数分ほどはどうにも居心地が悪かった。
背後に存在を感じるだけで安心出来なくなる性格な以上
我関せずを貫いていても仮名子さんの視線は非常に痛い。
危害を加えるつもりがないのは分かってるが
話しかけようとしてたりオロオロしてたりされるとこっちもどう対処していいのか分からない。



戻ってきたMoが「なんですかこれは」と汗かくぐらいの景色だったらしい。

とりあえず呪縛からは解除された。
Moが近くに寄ってきて聞こえないぐらいの小ささで言う。

「仮名子さんだって心配してるんですよ」
「どうかな」
「少しは耳傾けるぐらいは」
「んー・・・」

色々と思い返してみる。
考えうる解決策の中で最も効率的なのは・・・


「あー、分かった分かった。寝る」

これが一番丸く収まる手だ。
無論、寝るつもりはないのだが。寝るフリしてやり過ごす。

「ほ、本当ですかっ!?じゃあすぐにお布団敷きますね!」

仮名子さんがなんかテキパキと準備を始めた。
一応こっちも机の上の物なりは片しておく。


うーん。

いまいち訳が分からない。
何故こんなにまで嬉しそうなのか。
そもそも性格からして、ここまで強く押し通そうとするような人じゃないはずなのに。
つくづく人って一皮むくと違うんだなあ。


-

「んじゃ、少し寝るから」
「はい」

これも根負けって言うのかな、とか思ったが
さしてこだわるものでもないのでまあいいや。


「仮名子さんって」
「ん?」

Moが他人について話そうとするのは珍しい。

「いい人ですよね」
「気に入った?」
「いや、そうでなく」

そうだったらそうだったでまた前途は多難だが。

「萌迦はどう思ってるんです?」

なんだか難しい話になりそうだ。
どうとか言われても困るというしかないし。

「別に」

考え始めると抜け出せなくなる問題だろう。
こういう問題は触れないかとことん入り込むかどっちかしか出来ることは無い。
そしてそのどっちも何も生み出さないということも理解している。

「しばらく一人にしといて」
「寝といてくださいね」

普段だったらむりやりにでも追い出すが横になった今だとめんどくさい。


-

なんだか色々と妙な感じになっている。
"仮名子"という人の正体が掴めてこない。
どんな人間なんだろうと興味が湧いたのはあるが
それよりも「何故ここまでやってくれるんだろう」というほうが強い。

なんとなくお節介とかもやってみたがあの時なぜあんな行動したのか
自分でもよく分かってないのは事実。
まあ、事件に巻き込まれて大騒ぎになるのも厄介だから先に手を打った。
そんぐらいにしとこう。

友人や恋人というのは「騙されたっていいと思えるような人」という定義だと思ってる。でもこれはあくまで精神的なものであって、
客観的にみれば「自分にどんな形であれ得であるような関係」だろうか。
あれ、これは主観か。
そしてそれらの深度や性別によってその関係の名称が"友達"とか"恋仲"とかに変わる。
人付き合いとはたぶんそんな感じ。


仮名子さんに対してどう接すればいいのか分からない。
さっきの考え方に当てはめれば損はしてない。
いや、でもやっぱりどうだろうか。
そもそも損か得かってのは利益が絡むのかもまた考える必要があるし


だから、こういう問題は嫌いなんだ。
いつまで経っても答えが出やしない。



--

また夢を見た。
いい加減懲りたっていいはずなのに。



声が出てこない。
詰め込まれてる、蓋、布切れみたいな物。

見えるのに、動けない。
それが一番辛い。

痺れ、痛み、誰も頼れない悲しさ、動かせないってもどかしさ。
殴られた傷は一生忘れることはないだろう。
死ぬまで抱え込んでやる。
これが私の力だから。


消えてしまえ。
自分自身も全ての事柄も。

その思考の先にあるもの
空しいだろう、悲しいだろう、寂しいだろう。

でも、私の落ち着ける場所って

多分そこしかないんだと思う。


--


「・・・さん!」

誰かの声と振動が自分の世界から現実へと引き戻す。
寝るフリだったのが本当に寝てしまってたのに気付いたのはそれから少し後だ。

半分開いた視界に入ってきたのは部屋の天井。
そして仮・・・




「え?」

瞬間的に意識が脳へと伝わった。
警戒したのもこの態勢から攻撃可能状態になろうってのもある。
だが、今回に限って事情はもう少し違う。

目の色がおかしくなっている。
過去を呼び起こされたせいで自分の中で変化していたんだ。
この状態を見られるのは非常にまずい。


とっさに仮名子さんからは身体ごと顔と目を背けた。
左手で顔を押さえたのはたぶん本能的にだ。
でも、左手の感触がおかしい。妙に冷たく、でも水ではないものが感じられる。


「萌迦さん」
「な、なに?」

内心動揺してるのが分かる。
ある意味で最も"近づかれている"から。

「ほっぺたに血が・・・」


血か。
頬から左手経由で顔にまでかかってるこれは血か。
おおかた掻き毟りでもしたかな。
爪は切ってるんだけどな。
でもやっぱり指先にはひんやりとした感触が残っていた。

「なんか拭くの持ってきて。無ければティッシュ」
「あ、救急箱すぐ持ってきます」


仮名子さんはばたばたと焦って出ていった。
そうか、これって普通に考えればイレギュラーな事態なんだっけ。


こういうのは二度目や三度目じゃなかった。
夢、こびりついてるように昔を思い出させるような夢を見た日はいつもこうだ。
自分で無意識に傷つけてるんだろう。
どこかで消えようって思っているから。



白いガーゼが頬に溜まっている血を拭っていく。
頬から顔に、むろん目は閉じたままだが。
そして手の甲から指先までを拭いて最初の処置は完了。

「もう出血が止まってる・・・?」
「そういう体質」

仮名子さんが不思議がるのも無理はないだろう。
通常、止血にかかる時間は患部を圧迫したとしても三分から五分。
だがそれよりはるかに短い時間で血が流れ出ないところかもう塞がりつつもある。


私が萌化流の中で作り上げた"体質"
手早く「塞ぐ」ことで血を流すことや傷口が開くことによる不具合を解消してきた。
ただし、これをやると『傷の痕が残り続ける』という欠点も残っている。
だがそんな欠点なんてどうでも良かった。


気がつけば頬には分厚い絆創膏が貼られていた。
思い返していたら手当ては終わっていたらしい。



「一体何があったんですか?こんな深い傷・・・」

傍目で見れば『寝てただけなのに血が出てきた』ってなるのか。
これを説明するのは骨が折れそうだ。
手短に伝えるにはどういう説明がいいか。

「ま、一種の癖みたいなものかな。ストレスが募ってるとちょっと、ね」

どうだろう。
夢のことを話してもたぶん伝わらないだろうし、これが一番だろう。

「で、でも、癖になるぐらいまでストレスだなんて」

このあと長々と健康がどうのこうのについて言われ続けたが
正直何一つ覚えなかった。



「ところでなんでまた?」

時計を見ればまだ一時間回ってない。
仮にも「寝る」と言ったんだから二、三時間は空けるものだと思うが。

「あ、その、ユーザーさんがお呼びでしたので」

デスクトップへの呼び出し、か。
深寝してたせいかどうやら気付かなかったようだ。


「こんな状態だし適当にランダムチェンジしといて」

生理を理由に月一で同じことやってる人もいるんだ。
こんぐらいいいだろうと。

「で、でもユーザーさんが」
「いいの別に」

毎回毎回ユーザー側の都合で四六時中呼び出しかかるんだ。
たまにはこっちの方も考えてほしい。
それすらも許されないのはほとほと承知はしてるが。

それよりも重要なのは、

「そんなにあれなら仮名子さん出たら?」
「え?」


私は人が人に抱く"好意"を見抜くことが出来る。
誰が誰を好きで誰を嫌いか、がなんとなくだが分かる。
それを利用して人間関係の網を何度もかいくぐってきたのだから。


そして"ユーザー"の名前を出した時の仮名子さんの顔は明らかにそれだった。
秋葉原事件の時には睨んでたがこれで確信した。



しばらくの間、部屋の中に沈黙が流れた。
いきなり深い話になるとやはり戸惑うものなんだろう。
でもそれは察している。



「ユーザーのこと、好き?」
「!」


"当たり"か。
誰でも当てられるぐらい非常に分かりやすい態度で示してくれた。


「私はあんたを応援するから」


恩返しだのなんだの言うつもりは無いが何かしらはやっといてあげよう。
だが、今の私にはそれしか出来ない。
この人のためにやれるのはそれぐらいしか無い。



「で、でも萌迦さんはどうなんですか?ユーザーさんのこと・・・」

その声色は焦りか。
ごまかすようにこちらに矛先を向けた。


私はさしてユーザーに興味は無い。
ユーザーがゴースト全員から嫌われたんなら拾いもするだろうが
そうでない限りは私が手を出すものでもないだろう。
本気な誰かに譲るべくが筋だ。


「仮名子さんが好きなんでしょ?だから私が出るのは・・・」


っと。
これは言わなくていいな。
いらない不安は必要無い。


「ま、基本的に興味は無い。でもまあライバルは多いよ?」

「にくじゃが」の中にはさしていないだろうが
少し外へ目を向ければ百とも二百とも超える数は優にいる。
しょせん向こう側にとっちゃ数百分の一の存在に過ぎないのだが
まあこれも言う必要は無いか。



ふと、不安が通った。


「仮名子さんはさ」

躊躇った。
こんな質問してどうするんだろう、って。

「私と一緒にいて楽しい?」
「え?」
「楽しい?っていうか、こっちが一方的に振り回してるだけだし・・・」


言ってすぐさま後悔した。
こんな質問突然されてうまく切り返せる例は少ない。

でも、不安だった。
この状況があまりに恵まれすぎてて怖かった。
持ち上げられて突き落とされるのが一番ダメージなのをよく知っている。
仮名子さんがそういう性格じゃないのは分かってる。
でも、決してそれは確定出来る事項じゃない。
だからこそ、今の内に向こう側の退路は断たせておきたい。
ここでならまだダメージは少ないんだ。



「私は萌迦さんと居れて楽しいですよ」

逆に、聞きたくない言葉だった。
人を楽しませられる自信なんてない。
誰かに期待なんて抱かれるのは辛い、必ず裏切ってしまうから。


「雑用でもお手伝いでも、誰かが必要としてくれているのが嬉しいです。
 だから、萌迦さんのお手伝いをするのだってすごく楽しいことなんですよ」


そうか。

この子は綴りながら生きているんだ。
日記をつけているように、一日一日を。
刻み込んでいくように。

生き方が正反対なんだ。
日記を昔で止めた私とは全くの。
一日一日を日記の出来事に削られていくような生き方とは。

だから、どこかでずれてきてる。今ここで。



私はどうすればいいんだ、
「一緒にいて楽しい」だなんて演技以外で言われたことなんてない。
どう受け止めて応答すればいいんだろうか。


「萌迦さんは」

仮名子さんの顔は見れない。
でも、背中を介してその声の質が変わったことは分かる。

「他の人達が思っているほど怖い人じゃないと思います」


突然どうしたんだろうか。

それにしても怖い、か。
まあ、そう思われていたほうが楽といえば楽だ。
それが一番いいんだ、それが・・・。


「いつも、自分で境界線を引いてしまってるんじゃないでしょうか。
 萌迦さんのためじゃなく、他の人のために」


心が痛い。
私はそんなに立派な人間じゃない。
ただ、いざこざするのが面倒だから進んで会話してないだけ。
それに解釈なんて必要無い。


私の中がいま揺れ動いている。
受け入れてもいいのか、この人を。
ドアを挟んで二つの力が押したり引いたり。
「受けよう」って感情もある、「怖い」って感情だってある。
今はまだ、後者の力が強い。


「あ、あの、ごめんなさい!変なこと言っちゃって・・・」

一人勝手に葛藤してる私を置いて
仮名子さんは頭を下げて踵を返していた。


「あ、待って。仮名子さん」

びくっと背筋伸ばした仮名子さんが妙におかしかった。
さっきまでの勇気を出してた姿との対比が面白い。


「今さっき、[changed,仮名子]を発動させた」

これで現在のデスクトップには「仮名子」が立つことになってるはずだ。
本来ならユーザー側がやるものではあるけど。
ま、[randomchange]を使う人もいるし使ってもバチは当たらないだろう。

「後はよろしく」


仮名子さんがどういう反応したかは分からない。
そろそろデスクトップに立っているだろう。
まあ、毎回やると逆効果になるのでこれっきりにしとくが。


強制返還されたMoがそろそろ戻ってくる頃だろうので今日はもう寝よう。
たまにはこういう日があるのもいいとは思った。











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次の日。

「もう治ったんですか!?」


原稿をやってると背後から仮名子さんの声がした。

「もともとが寝不足で、あとは怪我程度だし。
 どっちも数時間あれば治る」

絆創膏はまだ貼りっぱなしにしてある。
傷口はもう塞がってるのは分かるのだがなんだかまだ貼っときたい気分だった。

「今度はちゃんと酷くなる前に寝てくださいね?」
「3日で原稿が終わるんなら考える」

軽い皮肉なつもりだったんだが仮名子さんは何か別のことを感じ取ったらしい。

「お手伝いなら言ってくれればしますから・・・」









『今はまだこれでいい』のだろう。
未来でどうなるかは分からないが。
まだ、これで。